東京の高校野球情報掲示板に戻る > インタビューTOPページ




2007年12月01日

プロ野球選手

近藤 一樹 選手 (オリックス)

インタビュー


今回の独占インタビューはオリックスバッファローズの近藤選手です。

強打の日大三高出身で第83回全国高等学校野球選手権での優勝投手。

今季はウエスタン・リーグで最多勝、最高勝率のタイトルを獲得するなど活躍。

来シーズン、1軍での活躍が期待されている若手投手の一人です。

高校時代どのような思いで練習をしていたのか、伺ってきました。

それでは!

【日大三の進学のきっかけ】

 小学校の時、自宅の近くに神奈川県の高校野球の大会使用球場があったんですよ。

 相模原市ですよね?

 はい。だから高校野球のシーズンになると大会を身近に見る事ができました。そこで一番最初に見たのが横浜商業 (Y高)の試合です。Y高にあこがれすごく行きたかったですね。ただ正直言うと勉強したくなかったんですよ。(笑)県立だと勉強も野球もという…両立が嫌だったので。だから進学シーズンになったけど、本当に行きたい高校は無かったですね。それまではY高を目指していたが、それ以上にもう勉強したくなかった。(笑)

その時に日大三高からお話を頂き、練習を見学にしに行きました。もちろん施設、野球をやる環境も良かったので好感を持ったが、ただそこで進学を決定した訳ではなく、まだどこに行こうか模索中でした。中学の時にボーイズでそこそこの成績を収めたので、僕に注目してくれた高校が他にも何個かありました。ただ自分の中で直感というか感じるものがあまり無かったです。結構直感で思った道を選択してきたのが、その時は珍しく迷いました。なんか全然ぱっとしなくて、高校に進みたくないなとも思いましたね。自分の思いが無くなって、どうしたらいいのか全く見えなかった。そして日大三高にそろそろ返事をしなくてはまずいぞって事になった時、最初は「断ります。」って中学の監督に一旦言いました。ただその日の夜にやっぱ日大三はなんか違うなって思って、その日のうちに「日大三高に行きます。」って言いました。たぶん自分でその時に何かを感じたんだと思います。

振り返ってみれば、甲子園にも出て優勝できて、自分の選択は間違っていなかったと思います。本当に一番、僕の分かれ道でしたね。

 実際日大三校に入学して、クラブチームから部活動に移行するにあたり毎日野球という環境にはすぐに慣れましたか。

 ボーイズが週に5回あったので、部活動に関してはすんなり入れましたね。


インタビューに答える近藤投手
【 高校野球をやるにあったての心構え 】

  最初は(中学と違い)レベルが上がっているので、練習が厳しく感じる部分はありましたが、高校で野球をやる事に対して覚悟をしていたので、なあなあな気持ちでは無かったです。やるだけやる!という強い気持ちで望んでいました。

 しんどい時のメンタルの保ち方は何かありましたか?

 しんどかったけど、ユニフォームを着たら、なんていうのかな、(日大三の野球をやる環境が厳しかったので)だらだらやれる雰囲気でもなく、切り替えてというか、嫌でもしっかりやれる環境でしたね。

【厳しい練習の中で役立っている練習は何ですか?】

 全部ですね。役立っているというか、個人個人の力もあったのかもしれないですけど、高校時代って自分の力を客観的に分からないじゃないですか。

その時、一番自信になっていたのが練習量。練習がホントに長くてしんどくて、絶対に僕ら以上に練習をやっているところは無いと思っていました。

 日大三の合宿は厳しいと有名ですよね。

 そうですね。普段の練習も厳しいけど、僕の体験した冬の合宿は、朝・5時半にはグランドでランニングをしていました。その後、朝ごはんを食べて10時から普通のいつもどおりの練習が始っていたんですけど、うちのグランドはナイターがあって夜までずっと練習です。練習が終わって寮で、ご飯を食べるのが9時くらい。それでご飯を食べ終わってから少しくつろいでからまた夜練。みんな室内でバットスイングです。その後にミーティングあって、結局12時くらいに全部終わってそこからお風呂、洗濯があるので、僕はだいたい1時過ぎくらいに寝てましたね。だから寝たらすぐに朝、みたいな。(笑)

 ホントあっという間ですね。

 そうですね。合宿は本当に1日の中で暇な時間が無かった。少しでもボーっとしてると洗濯機を誰かに先に使われていたりとか。やる事やる事をどんどんこなしながらだから大変でした。その合宿で2週間以上やっていましたね。

ま、それだけが自信になったわけではないですが、本当に練習量が自信になりましたね。間違いなく僕ら以上やっている人はいないと思います。

【練習中の意識の持ち方は】

 僕は特にチームワークを重要視していましたね。特に自分が中心にならなくてはと思っていたので、自分もやりたい事やっているけど、周りの事も考えてながらやっていました。また声かけてコミュニケーションを取ったり。もちろん試合になったら自分中心になるけど、野手がいるからこそ、打たせてとる事ができる。試合ができる。そういう事を考えてやって練習をやっていました。また私生活からでもチームワークを意識してやっていましたね。

 高3の時の投手陣の練習は


オフは、母校日大三高で自主トレを行う予定
とのこと。来期の飛躍を目指す!

 冬は走りこみ。ランニングは基本。そのぐらいじゃないですか。監督が野手出身だったので基本は教えてもらいましたが、それ以外は自分で自由にやっていました。強いボールを投げることに集中して練習していましたね。ただ逆に投手出身の監督で、手取り足取り指導されていたら今のように投げれているかは分からないですけどね。

だから僕は小学校・中学・高校時代は自由に強いボールを投げるのが一番じゃないかなと今は思っています。環境的に締め付けられなかったのが良かったです。

 強いボールを投げるに当たり具体的に意識していたところは何かありますか?

 特に自分で意識していたことは、自分は体が細かったので、体全体を使って投げたかったです。力がない分どうやったら強いボールが投げれるかな、という事を考えて、上手くリズムとタイミングで体全体を使って投げるように意識していました。だから、常に全力で。ばてる時はばてていましたね。調子が悪かったら駄目(笑)

 でも、後ろに千葉投手、清代投手が控えて心強かったんじゃないんですか?

 そうですね。かなり刺激をもらってました。同級生には絶対負けたくなかったですね。

【高校時代にもっとこうしたら良かったとかありますか?】

 時間もなくなってきましたが、最後に高校時代もっとこうしたら良かったと思う事はありましたか?

 今、振り返ってみると、確かに高校時代まじめにやっていたけど、もっとまじめにやれば良かったです。楽しくて、すぐ試合とかでも笑うんですよ。笑ってしまうのがもっとまじめにやっていれば。集中してなかったというか。今、思うとかっこ悪いなと思っちゃいますね。

 ありがとうございました。


近藤 一樹 選手

プロフィール

1983年07月08日生まれ

日大三高 硬式野球部所属

第73回選抜高等学校野球大会出場
第83回全国高等学校野球選手権大会 優勝
西東京大会、準決勝 創価高校戦で
ノーヒット・ノーラン達成(5回参考記録)

2002年 近鉄入団
2002年〜2004年 近鉄
2005年〜 オリックスバッファローズ

インタビュー終了後、色紙にサインを頂きました。
次回の読者プレゼントにさせていただきます。



▲このページの上に戻る


Copyright (C) 2004 Wood Stock, co.ltd コピー無断転用は一切認めておりません。